本邦において大腸癌の罹患者数は増加の一途をたどっており,最も身近ながんの一つとして社会的関心が高い。大部分の大腸癌は生活習慣,環境因子,加齢などの影響により,大腸粘膜や腺腫に遺伝子変異が蓄積して発生すると考えられている(散発性大腸癌)。全大腸癌の20~30%は血縁者に多発(家族集積性)することから家族性大腸癌と呼称されることもある。家族集積性の有無にかかわらず,大腸癌のおよそ5%未満では原因遺伝子が明らかにされており,遺伝性大腸癌と総称される。遺伝性大腸癌は,若年発症,同時性・異時性発がん,他臓器の重複がんを合併しやすい等の傾向があり,散発性大腸癌とは異なる対応が必要である。しかしながら,遺伝性大腸癌に対する一般臨床家の認知度は必ずしも高くない。
遺伝性大腸癌の代表的疾患として家族性大腸腺腫症(familial adenomatous polyposis)とリンチ症候群が挙げられる。家族性大腸腺腫症は大腸粘膜に通常100個以上の腺腫が発生するため,診断される機会が多い。一方,リンチ症候群は遺伝性大腸癌のなかでは最も頻度が高い疾患であるが,比較的臨床的特徴に乏しく,日常診療で見逃されている可能性が高い。また,リンチ症候群はかつて遺伝性非ポリポーシス大腸癌(hereditary non-polyposis colorectal cancer:HNPCC)とも呼称され,その疾患概念や診断基準は研究の歴史とともに変遷を遂げており,臨床現場において混乱を招いている可能性がある。
このような状況のなかで,「遺伝性大腸癌診療ガイドライン2016年版」(以下,本ガイドライン)は,家族性大腸腺腫症とリンチ症候群および一部の関連疾患の診療に従事する医師および医療関係者を対象として,下記の4項目を目的として作成された。
(1) | 遺伝性大腸癌の疾患概念について理解を深めること |
(2) | 遺伝性大腸癌の診断とサーベイランスを含む治療方針を示すこと |
(3) | 遺伝性疾患という特殊性に起因する患者および家族(血縁者)の心理社会的負担への配慮と支援の重要性を示すこと |
(4) | 一般に公開し,医療者と患者の相互理解を深めること |
本ガイドラインは,臨床現場において遺伝性大腸癌の診療を実践する際のツールとして利用することができる。具体的には,個々の患者の診断・治療およびサーベイランス,あるいは患者および家族に対するインフォームド・コンセントの場で利用できる。本ガイドラインの記載内容については大腸癌研究会が責任を負うものとするが,個々の診療結果についての責任は直接の診療担当者に帰属すべきもので,大腸癌研究会および本ガイドライン委員会は責任を負わない。
大腸癌研究会において,家族性大腸癌委員会のプロジェクトとして「遺伝性大腸癌診療ガイドライン」の作成が計画され,2012年7月に「遺伝性大腸癌診療ガイドライン2012年版」が刊行された。その後,特にリンチ症候群に関し,海外から多くの新知見や診療ガイドラインが公表された。また,家族性大腸癌委員会では大腸癌研究会のプロジェクト研究として行われた「家族性大腸腺腫症に関する後方視的多施設共同研究」や「HNPCCの登録と遺伝子解析(第2次研究)」のデータ解析が行われ,新知見を得ることができた。このような状況のなかで,わが国では専門施設を中心とした遺伝子診療部等の設置とともに遺伝性腫瘍への社会の関心が高まっている。以上の点を踏まえ,2015年に「遺伝性大腸癌診療ガイドライン2012年版」の改訂作業が開始された。多くの会議を経て改訂版の原案が作成され,2016年5月に評価委員会に提出された。また,2016年7月の第85回大腸癌研究会では公聴会を開催し,その後大腸癌研究会のホームページでも改訂点を掲載して広く意見を求めた。それらを参考にさらなる修正を行い,2016年11月に「遺伝性大腸癌診療ガイドライン2016年版」(本ガイドライン)を刊行するに至った。
本ガイドラインの作成においては科学的根拠に基づく医療(evidence-based medicine:EBM)の概念に則した作成法を採用するように努めた。しかし,遺伝性大腸癌は頻度が低く,高いエビデンスレベルの研究を構築することは容易ではない。このように十分なエビデンスが存在しない領域については,文献で得られた情報をもとに,わが国の医療保険制度や臨床現場の実情にも配慮し,大腸癌研究会のコンセンサスに基づいて作成された。また,日本家族性腫瘍学会からも作成委員が加わった。
本ガイドラインは,遺伝性大腸癌の診断,治療,サーベイランス等を含めた診療方針の理解を助けるために,各診療方針の根拠を示すが,各治療法の技術的問題には立ち入らない。
EBMの概念に則した作成法を採用した。しかし,遺伝性大腸癌は比較的まれな疾患であり,ランダム化比較試験を行いにくいことから,エビデンスレベルの表示は省略した。
遺伝性大腸癌のなかでは頻度が高い家族性大腸腺腫症とリンチ症候群を取り上げ,まず①疾患概念,②診断,③治療,④術後サーベイランス,⑤患者・家族への対応などの各項目を簡潔に記載した。次に,その記述内容の中からclinical question(CQ)として取り上げるべき課題を本ガイドライン作成委員会において選択して討議した。
CQに対する推奨文には,エビデンス分類と本ガイドライン作成委員のコンセンサスに基づいて作成した推奨カテゴリー分類を可能な限り付した。推奨カテゴリーの決定にあたっては,科学的根拠が明確で,最良かつ安全で侵襲が少なく,本邦における診療現場の実情に即した診断・治療法であることを踏まえ,推奨文のもととなるエビデンスの妥当性の評価に加えて,推奨文自体の妥当性,臨床的適応性を総合的に検討した。
推奨カテゴリー分類
・カテゴリーA: | 高いレベルのエビデンスに基づき,本ガイドライン作成委員の意見が一致している。 |
・カテゴリーB: | 低いレベルのエビデンスに基づき,本ガイドライン作成委員の意見が一致している。 |
・カテゴリーC: | エビデンスのレベルにかかわらず,本ガイドライン作成委員の意見が完全には一致していない。 |
・カテゴリーD: | 本ガイドライン作成委員の意見が相違している。 |
PubMedと医学中央雑誌Web版を検索データベースとし,検索可能な始点から2015年8月を終点として,英語および日本語の文献を系統的に検索した。家族性大腸腺腫症に関しては,家族性大腸腺腫症(familial adenomatous polyposis),リンチ症候群についてはリンチ症候群(Lynch syndrome)あるいは遺伝性非ポリポーシス大腸癌(hereditary non-polyposis colorectal cancer),マイクロサテライト不安定性(microsatellite instability),ミスマッチ修復(mismatch repair)を大項目として網羅的に文献を検索し,必要に応じて用手検索を追加した。抽出された25,941件(家族性大腸腺腫症:日本語1,049件;英語7,897件,リンチ症候群:日本語1,050件;英語16,045件)の抄録付き文献リストから選択した文献の全文を批判的に吟味した。また,2015年9月以降に公表された重要な文献については,十分吟味した上で,採用した。
本ガイドラインは,大腸癌研究会のガイドライン委員会および家族性大腸癌委員会を中心組織として,日本家族性腫瘍学会の協力を得て原則として4年を目途に改訂を行う。
本ガイドラインが日本全国の診療現場で広く利用されるために,小冊子として出版し,大腸癌研究会などのホームページでも公開する。
本ガイドラインの作成に要した資金は大腸癌研究会の支援によるものである。
本ガイドラインの内容は,特定の営利・非営利団体や医薬品,医療用製品などの企業との利害関係はない。大腸癌研究会幹事会は遺伝性大腸癌診療ガイドラインおよび大腸癌治療ガイドライン作成委員,評価委員の利益相反の状況を自己申告により確認した。
委員長 | |
石田秀行 | 埼玉医科大学総合医療センター消化管・一般外科〔外科〕 |
家族性大腸腺腫症責任者 | |
山口達郎 | がん・感染症センター都立駒込病院外科〔外科〕 |
リンチ症候群責任者 | |
田中屋宏爾 | 国立病院機構岩国医療センター外科〔外科〕 |
委員(五十音順) | |
赤木 究 | 埼玉県立がんセンター腫瘍診断・予防科〔遺伝子診断・遺伝カウンセリング〕 |
井上靖浩 | 三重大学大学院医学系研究科生命医科学専攻病態修復医学講座消化管・小児外科学〔外科〕 |
隈元謙介 | 福島県立医科大学会津医療センター小腸・大腸・肛門科学講座〔外科〕 |
下平秀樹 | 東北大学加齢医学研究所臨床腫瘍学分野〔内科・遺伝カウンセリング〕 |
関根茂樹 | 国立がん研究センター中央病院病理科〔病理〕 |
田中敏明 | 東京大学大学院医学系研究科臓器病態外科学腫瘍外科〔外科〕 |
千野晶子 | がん研有明病院消化器内科内視鏡診療部〔内視鏡〕 |
冨田尚裕 | 兵庫医科大学外科学講座下部消化管外科〔外科〕 |
中島 健 | 国立がん研究センター中央病院内視鏡科〔内視鏡〕 |
長谷川博俊 | 慶應義塾大学医学部外科〔外科〕 |
檜井孝夫 | 国立病院機構呉医療センター・中国がんセンター外科・臨床研究部分子腫瘍研究室〔外科〕 |
平沢 晃 | 慶應義塾大学医学部産婦人科〔婦人科〕 |
宮倉安幸 | 自治医科大学医学部総合医学第2講座(一般・消化器外科)〔外科〕 |
村上好恵 | 東邦大学看護学部がん看護学研究室〔看護・遺伝カウンセリング〕 |
委員長 | |
渡邉聡明 | 東京大学大学院医学系研究科臓器病態外科学腫瘍外科・血管外科〔外科〕 |
副委員長・化学療法領域責任者 | |
室 圭 | 愛知県がんセンター中央病院薬物療法部〔内科〕 |
内視鏡領域責任者 | |
斎藤 豊 | 国立がん研究センター中央病院内視鏡科〔内視鏡〕 |
外科領域責任者 | |
橋口陽二郎 | 帝京大学医学部外科学講座〔外科〕 |
放射線領域責任者 | |
伊藤芳紀 | 国立がん研究センター中央病院放射線治療科〔放射線〕 |
病理領域責任者 | |
味岡洋一 | 新潟大学大学院医歯学総合研究科分子・診断病理学分野,分子・病態病理学分野〔病理〕 |
委員(五十音順) | |
石黒めぐみ | 東京医科歯科大学大学院応用腫瘍学講座〔外科〕 |
石田秀行 | 埼玉医科大学総合医療センター消化管・一般外科〔外科〕 |
石原聡一郎 | 東京大学大学院医学系研究科臓器病態外科学腫瘍外科〔外科〕 |
上野秀樹 | 防衛医科大学校外科学講座〔外科〕 |
上原圭介 | 名古屋大学大学院腫瘍外科学〔外科〕 |
岡 志郎 | 広島大学病院消化器・代謝内科〔内視鏡〕 |
金光幸秀 | 国立がん研究センター中央病院大腸外科〔外科〕 |
河野弘志 | 聖マリア病院消化器内科〔内視鏡〕 |
絹笠祐介 | 静岡県立静岡がんセンター大腸外科〔外科〕 |
國土典宏 | 東京大学大学院医学系研究科臓器病態外科学肝胆膵外科〔外科〕 |
坂井義治 | 京都大学医学部附属病院消化管外科〔外科〕 |
辻 晃仁 | 香川大学医学部臨床腫瘍学〔内科〕 |
中島貴子 | 聖マリアンナ医科大学臨床腫瘍学講座〔内科〕 |
濱口哲弥 | 国立がん研究センター中央病院消化管内科〔内科〕 |
室伏景子 | がん研有明病院放射線治療部〔放射線〕 |
山﨑健太郎 | 静岡県立静岡がんセンター消化器内科〔内科〕 |
吉田雅博 | 国際医療福祉大学臨床医学研究センター化学療法研究所附属病院〔ガイドライン作成方法論〕 |
吉野孝之 | 国立がん研究センター東病院消化管内科〔内科〕 |
協力者 | |
田中敏明 | 東京大学大学院医学系研究科臓器病態外科学腫瘍外科〔外科〕 |
アドバイザー | |
固武健二郎 | 栃木県立がんセンター研究所/大腸外科,前大腸癌治療ガイドライン作成委員会委員長[外科] |
委員長 | |
杉原健一 | 光仁会第一病院,東京医科歯科大学大学院腫瘍外科,大腸癌研究会会長,前大腸癌治療ガイドライン作成委員会委員長[外科] |
委員(五十音順) | |
板橋道朗 | 東京女子医科大学第二外科[外科] |
濃沼信夫 | 東北医科薬科大学医学部[医療管理学] |
坂田 優 | 三沢市立三沢病院[内科] |
島田安博 | 高知医療センター腫瘍内科[内科] |
高橋慶一 | がん・感染症センター都立駒込病院大腸外科[外科] |
田中信治 | 広島大学大学院医歯薬保健学研究科内視鏡医学・病院 内視鏡診療科[内視鏡] |
鶴田 修 | 久留米大学病院消化器病センター内視鏡診療部門[内視鏡] |
西村元一 | 金沢赤十字病院第一外科[外科] |
藤盛孝博 | 神鋼記念病院病理診断センター[病理] |
朴 成和 | 国立がん研究センター中央病院消化管内科[内科] |
森田隆幸 | 青森県立中央病院[外科] |
山口俊晴 | がん研究会有明病院[外科] |
日本家族性腫瘍学会(理事長 冨田尚裕)